柏木神社 | |
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■名称:柏木神社 ■住所:東京都北区神谷3-55 ■柏木神社の由緒 柏木神社は、元享年間(西暦1321年)に神谷3丁目の荒川に面した地に、伊邪那美命(いざなみのみこと:女神)を御祭神とする神谷町の総鎮守神の社殿として健立された。 「安産」の神様として崇められると共に、荒川を上り下りする舟の水路の安全を祈る「交通安全」の神様としても有名であった。 その昔は社城は広大で、神楽殿もあり、多くの樹木の聳える壮厳な森に囲まれていたが大東亜戦争が激化するに伴い、境内は軍需工場に接収され、昭和18年12月現在地に遷宮された。 昭和54年8月神谷町内外の氏子有志の奉賛により、現在の社殿が建設され、今日に至っている。 ※柏木神社境内内備付「柏木神社の由緒」より |
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十条富士塚(お富士さん) | |
■名称:十条富士塚 ■住所:東京都北区中十条2-14-18 ■十条富士塚の由緒 十条富士塚は、十条地域の人々が、江戸時代以来、富士信仰にもとづく祭儀を行って来た場所です。 現在も、これを信仰対象として毎年6月30日・7月1日に十条富士神社伊藤元講が、大祭を主催し参詣者は、頂上の石しを参拝するに先立ち線香を焚きますが、これは富士講の信仰習俗の特徴のひとつです。 塚には、伊藤元講などの建てた石造物が、三十数基あります。銘文によれば遅くとも、天保11年(1840)10月には富士塚として利用されていたと推定されます。 これらのうち、鳥居や頂上の石しなど16基は明治14年(1881)に造立されています。この年は、富士講中興の祖といわれた食行身禄、本名伊藤伊兵衛の150回忌に当たりました。石造物の中に「富士山遥拝所再建記念碑」もあるので、この年、伊藤元講を中心に塚の整備が行われその記念に建てたのが、これらと思われます。 形状は、古墳と推定される塚に、実際の富士山を模すように溶岩を配し、半円球の塚の頂上を平坦に削って、富士5合目近くの小御岳神社の石しを置いています。また、石段の左右には登山路の跡も残されており、人々が登頂して富士山を遥拝し、講の祭儀を行うために造られたことが知られています。 ※十条富士塚境内設置案内より |
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見守り地蔵 | |
■名称:見守り地蔵 ■住所:東京都北区東十条3丁目 戦争でこの地域一帯が焼け野原になった後、平和を願い上野のお寺(寛永寺)より譲り受けたお地蔵さん。いつもひっそりと見守ってくれています。 |
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とげぬき地蔵分尊 | |
■名称:とげぬき地蔵分尊 ■住所:東京都北区東十条2丁目 「巣鴨のとげぬき地蔵さん」の分尊です。東十条2丁目地蔵湯という銭湯の入り口横にいらっしゃいます。とげぬき地蔵の正式の名前は、「高岩寺」といいます。 |
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子育て地蔵 | |
■名称:子育て地蔵 ■住所:東京都北区中十条2丁目 JR京浜東北線東十条駅南口を出てすごのところに、ぽつんとたたずむこのお地蔵さんは「子育て地蔵」。写真を撮っていた時も70ぐらいのおばあちゃんがお祈りされていましたよ。 |